チュニジア国、チュニス市での経営指導終了会、堀口は後列左から6人目
堀口敬の海外活動
国際協力専門家として、7カ国で現地企業145社を指導。
海外活動写真集

 
チュニジア (2010〜2012、JICA専門家)
現地の経営指導員育成を目的に、現地指導員を引き連れて現地企業12社に96回の経営指導を行った。滞在中の2010年12月には革命が起きて大統領が国外逃亡し、指導していた企業も暴徒に襲われ焼失し、国内は大混乱に陥った。しかし、そんな中でも2011年3月の東日本大震災時は「お前の国は大丈夫か?」という温かい言葉をかけてもらい、石巻市では炊き出しもしてくれた。ありがとうチュニジア!

グアテマラ (2010 JICA専門家)
グアテマラシティから標高2300mのケツァルテナンゴまで高山病に悩みながら車で移動し、チョコレート工場コーヒー園などの現地企業14社を企業診断した。しかし、帰国前日にパカヤ山が噴火して空港が閉鎖。火山灰が10p積もった道を4WD車で隣国エルサルバドルの空港まで走り、やっとの思いで帰国した。

ケニア (2006〜2010 JICA専門家)
滞在中の2008年には大統領選挙の結果をめぐる暴動が起き、ホテルの周りは銃を持った兵士で固められていた。そんな中でも私とケニア人の相棒の2人だけで、インド洋岸のモンバサからビクトリア湖畔のキスムまで現地企業102社を企業診断して回った。3か月間に日本人に全く会わないときもあったが、人生で最も充実し、サラリーマン時代の残滓を完全に洗い流した5年間だった。(調査レポート)

ウズベキスタン (2006〜2007 EBRD専門家)
タシケントの現地菓子工場へ現場改善指導を行った。ウズベキスタンにはスターリンの政策で「2万人の日本兵捕虜」が送られただけでなく「17万人の朝鮮人」が極東から強制移住させられた。指導した工場でも多くの朝鮮人の末裔に出会った。タシケント市内は街の角々に警察官が立ち、警察国家という印象だった。

アゼルバイジャン (2005 ロシアNIS貿易会専門家)
ロシア国境に近いハチマズの缶詰工場で原価管理指導を行った。第1通訳が私の英語をロシア語に、第2通訳がロシア語をアゼルバイジャン語にという「2重通訳」(もちろん相手からの返事も2重通訳)。伝わっているかどうか不安な指導だったが、コーカサス山脈とカスピ海に囲まれ景色とウォッカは抜群だった。

タイ (2003〜2004 AOTS専門家)
バンコク市内の学校で「現地企業への診断実習玩具を分解しながらの原価計算実習」で現地中小企業診断士を養成した。写真はTPAセンターでタイ人研修生と。バンコク市内は沖電気時代に培った土地勘があり、研修生たちと食事に行くことも多かった。サラリーマン時代とは比べ物にならない開放感を味わうことができた。

タイ (1995〜2001、会社員時代)
写真は沖電気工業(株)の原価企画部長時代(後列左から3人目)。1996年に取った中小企業診断士のスキルを活かし、1995年に完成したタイ工場(プリンタ生産)の部品の現地調達率を上げるため、単身で現地企業60社への企業診断と現場改善指導を行う。このときの経験と自信が、2001年の独立起業につながった。
 
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